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世界に誇れる技術力を港区から発信!

港区の近代製造業の歴史

今ではあまり知られていないのですが、港区は明治時代(1875年)に芝赤羽の地に日本最初の機械製作の官営工場として工部省「赤羽工作分局」がつくられ、製鉄機械や蒸気機関の製作されたという日本近代製造業発祥の地であり、その後、民間も今では単なる都市河川に見える古川と言う小さな川の沿岸に「芝浦製作所」、「東京瓦斯第一製造所」、「池貝工場」、「日本電気」、「沖商会電気製作所」、等の工場がその当時、運送手段の主流の水運に利便な事から集積が始まりました。その後も第一次世界大戦前後よりそれらの大手工場の下請けのねじ類をはじめとする金属加工の町工場を核にする商工業の街として発展して来ました。
   
戦後もいち早く復興して東京の製造業(特に金属加工・印刷製本)の地域として成長し、高度成長経済期は更に規模や軒数を拡大して隆盛して来た地域なのです。

しかし、高度成長経済は土地価格の上昇などコストアップ要因にもなりにそれらの工場の量産部分は東京オリンピック前後の道路拡幅による移転を含めて次第に周辺区部さらに周辺県域へと移転すると共にそれまで地方から徒弟制度的に就職して新しい町工場の戦力となる人材の確保が出来なくなるという状況になり、戦前からの町工場間のネットワークが途切れはじめました。更に追い打ちを掛けるようにバブル期の土地の異常な高騰と地上げ騒ぎによりその当時株、土地などに比べて都心での地道な製造業は収益性が低いという流れにより多くの工場が移転、廃業して行きました。
   
その跡には都市型マンション群が立ち町工場の街は次第に中小ビル街へと変貌していき六本木や広尾の流行の街の流れが広がり高騰した土地には高級マンション。元々大使館等が散在するという国際的な一面を持つことなどから「おしゃれな高級住宅街」という今皆さんが地名から持つ街のイメージへと変貌していきました。
   
近年の長期不況に対してコスト的に不利な都心の工場は、価格競争力が弱い点やいわゆる3Kと言われるような製造業は後継者の育成も難しく、住宅が増えた事による騒音問題などでその後も転廃業が続き、それまでに長年育まれた製造のネットワークが途切れてしまい「港区に工場?」と言われるようにまでなりました。
   
それでも、白金、南麻布、三田、高輪などの街を散策してみてください。そこには町工場の音、匂いがあります。そして、そこには戦後の好景気のような大量生産型の大工場はありませんが、これまでの技術、ノウハウを試作開発のサポートに生かそうとがんばる小さな町工場が点在しているのです。
   
私たちのグループはそんな地域の2代目、3代目の加工屋で作られています。